№511|Svalbard part.4 「種子の方舟」が守る種

スヴァールバル世界種子貯蔵庫に眠る疑惑

Published on 2021.05.17

TEXT BY: Sachi Yamaguchi


「種子の方舟」に残された疑惑

「世界の終末」を見越し、世界中の種子を守るために造られた、スヴァールバル世界種子貯蔵庫。

永久凍土が広がるスヴァールバル諸島に佇むこの貯蔵庫は、種子を保管することで、人類の未来と種子の多様性を守り続けている。

この貯蔵庫はその役割から、別名「種子の方舟」とも呼ばれており、全人類を救ってくれる最後の砦であるというイメージを持つ人も少なくない。

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事実、貯蔵庫はスヴァールバル諸島という立地や、地盤、環境、建物のサイズやデザイン性に至るまで、様々な技術を駆使して作り上げられている。

例えば、種子たちの保管には氷点下の低温が必要であることから、貯蔵庫の温度は冷却装置によってマイナス18度に保たれている。さらに、万が一冷却装置が壊れたとしても、貯蔵庫を覆っている永久凍土によってマイナス4度を維持できるという機能を持っている。

また、この貯蔵庫では遺伝子組み換えがなされていない原種のみを保管している。

というのも、遺伝子組み換えを行って種子の機能性を高めるためには、必ず原種が必要であり、その原種は一度失われてしまうと復元することができない。

そうなると、品種改良ができなくなり、その種子の多様な可能性を失うことに繋がってしまう。そのため、この機能は種子の多様性を守るためにも必要不可欠なのだ。

このように万全な機能を有した貯蔵庫だが、本当に私たちを救う為の施設だと言い切れるだろうか?

そんな疑問を持つきっかけとなったいくつかの疑惑がある。

その疑惑を紐解かずして、この貯蔵庫が全人類を救う方舟であるとは到底言い切ることはできない。

貯蔵庫を守るはずの永久凍土の溶解

まず、この貯蔵庫の疑惑のひとつとして近年浮上しているのが、貯蔵庫の堅牢性への疑惑だ。

2016年に地球温暖化の影響で永久凍土が溶解し、水が貯蔵庫の入り口まで流れ込んで凍結した。こうした事態を受けて、貯蔵庫に防水のための大規模な対策や、雪解け水などを流すための溝を掘るなどの予防措置をとっている。

この事態によって、将来大災害が起こった時に、本当に人類を救う貯蔵庫として機能するかどうかが疑問視されているという。

北極では地球上の他の地域と比べて2 倍の速さで温暖化が進んでいると言われている。通常、7月の平均気温が5〜7度であるスヴァールバル諸島では、昨年の7月に21.7度を観測したという。この記録は、40年以上前に観測された21.3度を上回るものだ。

このまま地球温暖化が進行すれば、2071年から2100年の間に、諸島の平均気温は7〜10度上昇し、地表近くの永久凍土が失われる恐れもあるという予測もされている。

地球温暖化の問題は、人類が現在直面している最も大きな問題でもある。その地球温暖化は、「世界の終末」を引き起こす要因ともなり得るものだ。

そうした事態から人類を守る貯蔵庫もまた、地球温暖化によって危機に晒されていると言える。

こうした問題を見てみると、「種子の方舟」と言われている貯蔵庫は永久的なものではなく、世界の終末が訪れた際に頼れる唯一の砦とは言い切れないだろう。

貯蔵庫は誰にとっての方舟なのか?

貯蔵庫自体の安全が脅かされている事態も問題だが、実は貯蔵庫の役割における、公平性への疑惑も存在する。

種子の多様性を守るという役割を担っている世界種子貯蔵庫だが、その貯蔵庫が造られた2008年頃から、世界各地の農業NGOが「根本的に不公平である」とい指摘している。

中でも、国際非営利団体であるGRAINの主張によれば、この貯蔵庫は「固有の植物品種の種子を、元々その種子を作り、選び、守り、共有していた農民やコミュニティから奪い、彼らがアクセスできないようにする」ものであると言われている。

というのも、実際に農作物の改良品種を行っているのは企業や科学者ではなく、農家である。

しかし、現在の種子産業は、世界種子市場の半分以上を支配している少数の多国籍種子会社が、本来公的であるべき、植物育種ノウハウや権利を独占し、政府の介入さえも制限しているという状況だ。

さらに、貯蔵庫の種子に直接アクセスすることができるのは、基本的にこの少数企業と国に限られている。

そんな中で、もし「世界の終末」が訪れ、貯蔵庫から種子を取り出す時が来たとしても、種子を作った農家は、貯蔵庫の種子に直接アクセスすることはできない。

つまり、この貯蔵庫の恩恵を受けるのは少数の企業だけであり、権力のない人々は貯蔵庫へ直接アクセスする権利さえ持たない。

故に、農家が作った種子がこの貯蔵庫に保管されることによって、その知的財産権などの権利は政府や種子産業のビジネスに使われてしまうと言われている。

本当に種子の多様性を守るのは、この貯蔵庫なのか?

この主張から考えると、この貯蔵庫の「種子の多様性を守る」という役割においても疑惑が残る。

もちろん、冒頭で述べたように、原種を保管するという点においては、種子の多様性を守っていると言える。

しかし、GRAINによれば、元々、世界各地のあらゆる場所で種子を作り、そこから革新的な農法を実践してきた農家自身に種子を任せることこそ、本当に種子の多様性を守るために必要だという。

つまり、食料の基盤となる種子の主権を農家に戻すべきだという主張だ。

そうすることで、種子産業という限られたビジネス上のコミュニティだけではなく、さらに多く、広いコミュニティで種子を担保、生産、繁殖させることができる。

現在のように、種子産業というごく限られた利己的なコミュニティでしか品種を開発できないとなると、種子の多様性を制限してしまうことになる。これでは、多様性を十分に守っているとは言い難い。

「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」の本当の役割

「種子の方舟」であるスヴァールバル世界種子貯蔵庫。それに残された疑惑を紐解いてみると、冒頭で述べたような、万能な機能を備えた全人類を守る貯蔵庫とは言い切れない。

しかし、人間の食料の基盤となる種子そのものを守るという点と、種子の中でも「原種」を保管しているという点から見れば、人類にとって有益であることは確かだ。

ただ、地球温暖化による貯蔵庫自体の堅牢性に関する問題から見ると、その貯蔵庫が将来何が起きても永遠に存続するという保証はない。

仮に様々な対応を取り、この貯蔵庫が存続することができたとしても、まだ公平性の問題が残る。

この問題を残している世界種子貯蔵庫は、言うなれば、人類という「種」と、種子そのものを守る貯蔵庫であると言い換えることができるだろう。

「世界の終末」が訪れ、人類が滅亡の危機に瀕した時、この貯蔵庫が限られた人間を守ることで、全人類は救われずとも「種」としての人類は守られる可能性がある。

”方舟を離れる”
カスパー・メンバーガー

では、永遠に続くわけではない世界種子貯蔵庫と、その貯蔵庫にアクセスすることができない一般の人々はどうすれば良いのだろうか。

その答えは、その貯蔵庫のみを最後の砦として頼るのではなく、自分たちで種子の安全を守っていくことだ。

限られた人類と種子を乗せ、いずれ訪れるかもしれない世界の終末に備えている世界種子貯蔵庫。

それはまさに、「ノアの方舟」と重ねることができるだろう。方舟に乗ることができない私たちは、自分たちの力で世界の終末に立ち向かわなければならない。

 (TEXT:Sachi Yamaguchi)

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