№454|Svalbard part.1「世界の終末」に備える種子貯蔵庫

永久凍土に眠る100万の種子

Published on 2021.04.23

TEXT BY: Sachi Yamaguchi


「現代版ノアの方舟」、世界種子貯蔵庫

旧約聖書に登場する、大洪水にまつわる「ノアの方舟」の一説は、おそらく誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。

堕落した人類を見て怒った神は、大洪水によって人類の種を絶やすことを決定した。その際、唯一清らかに生きていたノアに方舟を作らせた。ノアは家族、そして全ての動物のつがいをその舟に乗せて彼らは生き残ったという。

その「方舟」の現代版とも言えるようなものが、北極圏にある。2008年に造られた「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」である。

この施設は、将来、気候変動による自然災害や戦争などが起こった時のために、世界中の様々な植物の種子を保存しておくものだ。そうすることで、農作物が絶滅したとしても、保存しておいた種子で農作物を再び栽培することができる。

その役割から別名「種子の方舟」とも呼ばれているスヴァールバル種子貯蔵庫は、北極海の「スヴァールバル諸島」で、静かに佇んでいる。

様々な特徴を持つ「スヴァールバル諸島」

世界種子貯蔵庫が興味深いのは勿論だが、まず注目したいのは貯蔵庫があるスヴァールバル諸島そのものについてだ。

ノルウェー領スヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島
出典 : Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0

この島はノルウェーに帰属しており、1925年に発効されたスヴァールバル条約の加盟国の人間であれば誰でも、島での経済活動が自由に行え、ビザや入国審査を受ける必要もなく、永住が可能である。

ちなみに、日本は原加盟国であるため、私たち日本人も永住が可能だ。

ただし、北極圏であるスヴァールバル諸島の寒さは、毎年人口の1/4が入れ替わるほど厳しい。そのことからも、簡単に永住できる場所とは言えないだろう。

そんな特徴を持つスヴァールバル諸島だが、どうして世界種子貯蔵庫の置き場所として選ばれたのだろうか?

北極海に浮かぶ島が選ばれた理由

スヴァールバル諸島が貯蔵庫の置き場所として選ばれた理由のひとつに、先ほど紹介したスヴァールバル条約が挙げられる。

実は、スヴァールバル諸島はこの条約で「非武装地帯」として島の非軍事化を規定されているため、基地や軍人の駐留は認められていない。そのため、もし戦争が起きたとしても貯蔵庫が危険に晒される可能性は低く、安全なのだ。

スピッツベルゲン島の氷河山

次に理由として挙げられるのは、スヴァールバル諸島の土地の特徴だ。

貯蔵庫が位置するスピッツベルゲン島は、諸島の中でも地盤が固く、地震などの影響を受けるリスクが極めて低い。

さらに、種子の保存には氷点下の低温が必要であるため、貯蔵庫の温度は冷却装置によって常にマイナス18度に保たれている。

貯蔵庫は永久凍土に覆われた山肌をくり抜いた地下に作られているため、万が一この冷却装置が壊れたとしても、永久凍土によってマイナス4度に保つことができる。

ホッキョクグマも生息している

こうした理由から、スヴァールバル諸島は自然災害や人為的災害が起きても安全性が保たれているため、貯蔵庫の置き場所として最適というわけだ。

そんな貯蔵庫には、66か国の国々と87個の遺伝子バンクから5800種類以上、100万以上のサンプル、という膨大な量の種子が預けられている。しかしこれでもキャパシティの3分の1しかが埋まっていない状態である。

世界種子貯蔵庫の内部構造

こうした貯蔵庫は、「世界の終末」に備えていると言われているために、今まで一度も開けて使われたいことがないように思えるが、実は過去に一度だけ種子が取り出されたことがある。

初めて引き出された種子

それは、2012年に起きたシリアの内戦が激化したことがきっかけだった。当時シリアでは、国際乾燥地農業研究センター(ICARDA)が、乾燥地で暮らす貧しい人々の生活環境を改善するために、干ばつや新種の病気に強い農業作物の品種の開発に力を入れていた。

シリアのICARDA、圃場と建物 (1991)
出典:flickr – JIRCAS Library

このICARDAが保有していた種子は、この先、乾燥地域で起こると予想される様々な問題を解決する重要な資源になると言われていたものだった。

そんな中でシリアの内戦が激化し、研究員は施設を離れ、同時に研究していた貴重な種子バンクを手放すことを余儀なくされた。

しかし、ICARDAは以前から種子サンプルをスヴァールバル種子貯蔵庫に寄託していたため、その種子を取り出すことによって、新しい場所でも研究を続けることができた。

スヴァールバル種子貯蔵庫は、未来の食料の安全を担う種子を復活させることができる砦であることを、このシリアでの一件で証明して見せたのだ。

貯蔵庫が守る作物の多様性と残る疑惑

そんなスヴァールバル種子貯蔵庫は、世界中の種子を守ることによって、私たち人類の未来を守っている。

方舟に乗れたのはノアとその家族、各動物一対ずつのみ。
“神がノアと家族を方舟に呼び寄せる” ヨーゼフ・フォン・フューリッヒ

この貯蔵庫が預かる種子は、遺伝子組み換えの種子などではなく、原種のみのサンプルの寄託を引き受けている。というのは、スヴァールバル種子貯蔵庫が作物の多様性を守るためだと言われている。

しかし、その点について、「作物の多様性を本当の意味で保全しているわけではない」という議論が、貯蔵庫が完成した2008年ごろから広がっている。

「種子の方舟」と言われているこの貯蔵庫に残る疑惑。果たして、この貯蔵庫は、世界の終末で誰にとっての「方舟」となり得るのだろうか?

 (TEXT:Sachi Yamaguchi)

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